会について

2000年春、私たちの活動は「性教育のプログラムを作りたい」という目的をもって始まりました。 出発は「性を人権の視点で考えよう」ということでした。滞日外国人支援、HIV/AIDSボランティア、障害者問題、自然・環境や食の問題、学校で働く教員など、様々な立場で活動をしていた当時のメンバーが、それぞれの現場で課題であると感じていた「性と人権」について、まずは自分たちで勉強したいと考えたのでした。

現在では、様々な場面において「違いを認めよう」「自分らしく」という言葉も使われていますが、私たちは、「多様な性」といわれて、どれくらい広く思い浮かべることができるでしょうか? また「性」「性別」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか? 男? 女?

ひと=自分のありようとして、性を考えてみれば、例えば、身体の性の発達が、多数とは異なる人たちがいます。生まれもった身体の性別とは異なる性で生きている人たちがいます。「心の性(自分の性別をどう認識しているか:性自認)」が身体の性別と一致しない人、違和感をもっている人、典型的な男/女ではないと感じる人がいます。

恋愛感情・性的関心の対象(性的指向)が、「同性」である人や「性別にこだわらない」人がいます。子どもを産むあるいは産まない選択をする人、産めない人がいます。「男らしさ」「女らしさ」や性に対する考え方は、個人的にも、時代や社会によってもさまざまです。そして、「あたりまえ」「幸せ」の基準もさまざまで流動的です。

ひとのありようが多様であるなら、人との関係性や「家族」のありようも多様です。自分や他者の性と、どうつきあうかということも、さまざまです。妊娠や性行為感染症など性と健康について、自分やパートナーの身体やそのしくみについて、よく知らない人、知っていても実行できない人がたくさんいます。

性について考えることは、自分自身や意識を振り返ること、自分の人生や生き方を考えること、人間について考えること、人との関係性を考えることでもあります。
その中で見えてくる社会やさまざまな問題について考えるきっかけにもなります。日頃「あたり前」で「常識」だと思っていることが、実は「思い込み」や「勘違い」だと気づくこともあります。

私たちは、誰もがちがった、多様な性を生きる「当事者」であると考えます。ひとと違った存在でいい、どのような性・生を生きるか、自分がどのような存在でありたいか、誰が好きで、誰とどんな関係を結んで生きていきたいか、自分で考え、選び、決めたいと考えています。

そのために、性別・性自認・性別表現・性的指向にかかわらず、誰もが、自己決定をするための情報を確保でき、その決定が尊重され、差別・強制・暴力を受けることなく、尊厳をもって自分らしく生きられる社会・奈良をめざして、それぞれの立場でできること、仲間とできることを模索しているところです。

「性」をキーワードに、私たちの周囲や自分自身をふりかえってみませんか? 新しい自分・知識・意識・世界・誰か、自分らしく生きるきっかけ、生きにくい原因が見つかるかもしれません!